戦国武将家紋ストラップその22 蒲生氏郷公
戦国武将家紋ストラップその22は 蒲生氏郷公の三階笠(さんかいがさ)です。 幼少期は小田信長の人質でしたが、有能だったため家臣となりました。本能寺の変で信長が亡くなった後は豊臣秀吉に仕えます。
秀吉の小田原城包囲戦での功績が認められ、それ以降、山階笠の家紋を使うようになったそうです。それ以前は「向い鶴」の家紋を使用していました。笠紋は雨を防ぐ事から防御、防衛を表す紋だそうです。佐々成政も使っていたみたいですね
キリシタン大名でもあり、奥州の会津若松を領地として、91万石もの領地を与えられています。当時、黒川と呼ばれていた地域に城を立て、若松と改名し、会津若松と呼ばれるようになりました。会津藩の基礎となっています。この時立てた城は蒲生氏が以前から使用していた家紋「舞鶴」から名前を取って、鶴ヶ城と名付けられました
戦国武将家紋ストラップ100選 その21 伊達政宗
戦国武将家紋ストラップ100選 その21は
伊達政宗公の家紋といえば「仙台笹」を思い浮かべる方が多いと思いますが(いずれそっちも紹介しますよ)、この家紋は正宗公が家督を継ぐ以前から伊達家で使用していたものになります。源頼朝から貰ったとも伝えられていいれ、古くから伊達家で使用されてきました。
正宗の代になり、「十六葉菊」「五七桐」「丸に横三引き両」「九曜紋」「雪輪に薄」も使うようになりました。家紋ではありませんが「日の丸」も馬印として使用しています。
戦国のファッションリーダーだった伊達政宗公ですから、家紋もTPOに合わせて使い分けていたのでしょう。
戦国武将家紋ストラップ その20 毛利元就公
戦国武将家紋ストラップ その20は毛利元就公の「長門三つ星」(ながとみつぼし)です。一文字三つ星という家紋とデザインは一緒ですね。 毛利元就公といえば三本の矢の逸話が有名ですが、それになぞらえた三つ星ではありません。というか三本の矢の話自体が後の創作とも言われています。
ただ元就公は一族の結束を遺言状で述べていたので、ここから後世で三本の矢の話ができたのではないかという説もあります。長門三つ星の他に「長門沢潟」(ながとおもだか)という家紋も副紋として使っていました。沢潟とは沼や池に自生する水草で、勝ち草とも呼ばれていたので、縁起を担いだのでしょうね
さらに正親町天皇(おおぎまちてんのう)からは十六菊紋、足利義昭からは五七の桐紋を貰ったみたいですが、いつどこので使ったかまでは記録がありません。いずれにせよ天皇家や将軍家から家紋を下賜されるのは凄い事ですよね
戦国武将家紋ストラップ100選 その19 柴田勝家公
戦国武将家紋ストラップ100選 その19は柴田勝家公の「二つ雁金」(ふたつかりがね)です。今回作った「二つ雁金」紋は雁金がナナメに二つ配置されている物ですが、雁金が縦に二つ並んだ紋を使っていたという説もあります。どちらも存在する家紋なのですが、どっちが本当なんですかね。詳しい方教えて下さい。
主君、織田信長公からの信頼も厚く、「鬼柴田」と呼ばれる程勇猛だった武将にしては可愛いデザインの家紋を使っていたと感じます。根は優しく面倒見の良い一面もあったようです。信長公亡き後、秀吉との戦に勝利していたら天下人になっていたのでしょうか。妄想は尽きません。
色々なゲーム内で出てくる柴田勝家はとても強い場合が多いですね。一度この方を主役にした大河ドラマが見てみたいものです。
戦国武将家紋ストラップ100選 その18 直江兼続前立て
戦国武将家紋ストラップ100選 その18は 直江兼続公の前立て「愛」(あい)です その直江兼続公としえば、この「愛」の方が有名ですが、これは家紋ではなく、前立て、とか立物と呼ばれる兜の前に付ける奴ですね
家紋ではないのですが、カッコいいのと有名なのでこちらも作ってみました。家紋じゃなにの家紋みたいな物といえば、その7でも紹介した石田三成公の「大一大万大吉」。これ私も家紋だと思っていたのですが、正式には家紋ではなく、馬印や旗印というもので、戦の時の旗に付ける物だそうです。
石田三成公の家紋は「下り藤に石の字」です。機会があったら作りたいと思います。
戦国武将家紋ストラップ100選 その17 直江兼続公
戦国武将家紋ストラップ100選 その17は直江兼続公の「三つ盛り亀甲に三つ葉」(みつもりきっこうにみつば)です
「愛」の文字で有名な武将ですが、この愛の文字は家紋ではなく、兜に付けられた前立てや立物と言われるものです。家紋はこちらの「三つ盛り亀甲に三つ葉」となります。えらく長い家紋の名前ですね。一番長いかも。
大河ドラマにも取り上げられている有名武将。徳川家康に喧嘩を売ったとも言われる直江状はかなり痛快です。生涯上杉家の家老として使え、死後は直江家は断絶しています。あえて断絶させる事で自分の高禄を上杉家に返し、財政の安定を図ったとも言われています。凄いですね。死してなお尽くす。
戦国武将家紋ストラップ100選 その16 仙谷秀久
戦国武将家紋ストラップ100選 その16は仙谷秀久公の「永楽通宝」です。もとは織田信長の旗印だったのを与えられた事で使い始めたそうです。「永楽」という言葉の縁起の良さを買って使用したという説もありますね。また、貨幣を家紋として使う「銭紋」は、豊かである事をあらわした家紋として、多くの武将たちが使用していました。
豊臣秀吉に古くから使え、数々の戦での功績があるものの、九州討伐時に命令に背き勝手な行動をとった事から、大敗を喫しています。でも小諸藩の大名になっていますが、厳しい統治を行っていたため、脱走する農民もけっこういたらしいですね。
仙谷秀久の家紋、というよりは織田信長公の旗印としてのイメージが強い「永楽通宝」このほかにも「無」紋も使っています。無という文字をモチーフにした家紋です。100選には入れてないのですが、機会があったら紹介しますね。